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「もしもあなたの人生が、残り3日しかなかったら、その3日間何をしますか?」

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「もしもあなたの人生が、残り3日しかなかったら、その3日間何をしますか?」

「鏡の法則」



すごく素敵なお話で、本にもなっているのでご存知の方も多いと思います。

まだの方は(著書)野口嘉則さんのサイトで読む事ができます。

PDFファイルです↑



ネイルとは直接は関係ないんですが、思わず紹介してしまいたくなる

内容だったので少し長いですが掲載します。

(興味のない方は飛ばしちゃってください [:next:])



私はこの話を読んで、涙が止まりませんでした。

そして目の前にある日常の全てに対し、なんて幸せなんだろう!

と本気で思いました。仕事もネイルも、前向きにもっと2がんばるぞ [:ぴかぴか:]





“悔いのない今”に気づくための質問

「もしもあなたの人生が、残り3日しかなかったら、

その3日間 何をしますか?」
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昭和54年に、富山県の砺波市で、ガンで亡くなった井村和清さんという医師がいます。



享年31歳でした。





右膝の腫瘍の転移を防ぐため、右脚を切断しました。

しかし、その甲斐もなく、腫瘍は両肺に転移してしまいました。



彼は医師でしたから、自分の病状と余命を、よく知っていました。







彼は、悔いを残さないために、生きているうちに遺書を書きました。



遺書のタイトルは「ありがとう、みなさん」です。







彼は遺書の中で、二人の子どもに次のようなメッセージを残しています。



「思いやりのある子に育ってほしい。

 思いやりのある子とは、まわりの人が悲しんでいれば共に悲しみ、

 喜んでいれば、いっしょに喜べる人のことだ。



 思いやりのある子は、まわりの人を幸せにする。

 まわりの人を幸せにする子は、まわりの人々によって、

 もっともっと幸せにされる、世界で一番幸せな人だ。



 だから、思いやりのある子に育ってほしい。

 それが私の祈りだ。



 私はあと、いくらもそばにいてあげることができない。

 だから、おまえたちが倒れても手を貸してあげることができない。

 お前たちは倒れても自分の力で立ち上がるんだ。



 お前たちがいつまでも、いつまでも、幸せでありますように。

                          父より」







こんなことも書かれています。



「肺への転移を知ったとき、私の背中は一瞬凍りました。

 しかし、レントゲン室を出る時、私は決心しました。

 歩けるところまで歩こう。



 その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、私は不思議な

 光景を見ていました。

 世の中がとても明るいのです。



 スーパーへ来る買い物客が輝いて見える。

 走りまわる子どもたちが輝いて見える。

 犬が、雑草が、電柱が輝いて見えるのです。

 アパートへ戻って見た妻も、手を合わせたいほど尊く見えました。」







「郷里へ戻ると、父が毎朝、近くの神社へ私のために参拝してくれて

 いることを知りました。



 友人の一人は、山深いところにある泉の水を汲み、長い道程を担い

 できてくれました。

 一斗(=約18リットル)以上もありそうな量の水を担いできてく

 れました。

 病気に効くと言われている霊泉の水です。



 また、私が咳き込み、苦しそうにしていると、何もわからぬ娘までが、

 私の背中をさすりに来てくれるのです。



 みんなが私の荷物を担ぎあげてくれている。

 ありがたいことだと感謝せずにはいられません。



 皆さん、どうもありがとう。」







そして彼は、「あとがき」を書き始めています。



「原稿をまだ半分も書き終わってないのに、私は『あとがき』を書き始め

 ています。

 それには、訳があります。



 もう有余はできない。

 いつ机に向かうことができなくなるかもしれない。



 頭と尾があれば、胴は少々短くても魚は魚であり、

 尾はなければ、それは魚ではない。

 だからとにかく、『あとがき』という尾を書くことにしたんです。



 頼みがあります。

 もし、私が死にましたら、残る二人の子どもたちをどうぞよろしく

 お願い致します。



 私が自分の命の限界を知ったとき、私には、まだ飛鳥ひとりしか子ども

 はありませんでした。

 そのとき、私はなんとしても、もうひとり子どもがほしいと思ったので

 す。



 それは希望というよりは、むしろ祈りのようなものでした。

 祈りは通じ、ふたり目の子どもが妻の胎内に宿ったのです。



 妻は、『これは、あなたの執念の子ね』と言って笑いましたが、私は、

 どうしても、妻と飛鳥を、母ひとり子ひとりにしたくなかったのです。



 三人が力を合わせれば、たとえ私がいなくても、生き抜いていける。

 妻がもし苦難に出会うことがあっても、子どもたち二人が心を合わせれば

 細い体の妻をきっと助けてくれる。



 そう信じています。」







「やがてこの子たちが大きくなり、人の心がわかる年頃になったら、私が

 生まれ育った北陸を訪ね、その山河を見せてやってください。



 自分たちの体に流れている父の血の故郷を感じさせてやって下さい。

 父がいなくても誇りをもって生きるんだ。



 そしてもうひとつお願いがあります。

 それは、私の死で誰よりも悲しむ父と母を、どうか慰めてやって下さい。



 私にはもったいない、仏さまのような父と母でした。

 父は自分のすべてを捨てて私を救おうとした。

 母は実母でもないのに、血の通う肉親以上の深い愛で、私を抱きしめて

 くれた。



 今はこの優しい父と母に、なんの親孝行もできない。

 それどころか、親にわが子の葬式を挙げさせる。

 悲しくてたまりません。

 いまから老いていく父と母をどうか慰めてやってください。



 人の魂が永劫であることを信じたい。

 人の魂が永劫であるなら、いつの日にか、再びこの父と母の腕に

 抱かれる日だってくる。



 人に生まれ変わりがあり、私にその機会が与えられるなら、再び

 三十歳の短い命であってもいいから、もう一度、この父と母のもと

 に生まれてきたい。」







そして、次のように「あとがき」を結ばれています。



「ありがとう、みなさん。



 世の中で、死ぬ前にこれだけ言いたいことを言い、それを聞いてもら

 える人は、めったにいません。

 その点、私は幸せです。



 ありがとう、みなさん、ほんとうに、ありがとう。」



(「いま、感性は力」到知出版 より)
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